エゼキエル45章 あやまって罪を犯した者
エゼ45:20「その月の七日にも、あなたは、あやまって罪を犯した者やわきまえのない者のためにこのようにし、宮のために贖いをしなければならない」
エゼキエル神殿を千年王国の神殿と解釈する人たちもいるようです。君主は、12部族の長、12弟子などの意見もあります。千年王国に関しては黙示録の記述が最も詳しく出ています。黙示録には「イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましい」と「獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たち」の2種類の人たちが生き返り千年の間キリストとともに王になると書かれています(黙20:4)。それゆえに「わたしのしもべダビデが永遠に彼らの君主になる(37:25)」の君主はキリストのことです。また「わたしの君主たち(8)」は生き返った聖徒たちが当てはまります。1つの疑問は、千年の間サタンは底知れぬ所に投げ込まれ、民を惑わすことがないと書かれています(黙20:3)。サタンの誘惑がないのに罪を犯し、わきまえのない者がいるのでしょうか。千年王国に集う人たちは第一の復活を体験した人たちです(黙20:5)。彼らは幸いな者で、聖なる者だと書かれています(黙20:6)。いったい誰の罪のためにいけにえを毎日ほふり(23)、復活を遂げたにもかかわらず、主の御心に逆らう人たちがいるのでしょうか。エゼキエル神殿はなぞに満ちています。
エゼキエル44章 だれもわたしの聖所に入ってはならない
エゼ44:9「神である主はこう仰せられる。心にも肉体にも割礼を受けていない外国人は、だれもわたしの聖所に入ってはならない。イスラエル人の中にいる外国人はみなそうだ」
現在のイスラエルには神殿はありませんので、聖所に入る以前の問題です。1948年にイスラエルが建国を宣言したときに、唯一の神を信仰するダビデやソロモンの時代のイスラエルが復活するのだと考えた人もいたでしょう。しかし、実際にはイスラエルの人口分布はユダヤ人70%、アラブ系20%、残り10%はその他となっており、ユダヤ人だけの国家ではありません。しかも、宗教の自由が認められており、ただ一人の聖書に書かれている神だけを信仰する者だけがいるわけでもありません。ただし、国全体は安息日を中心に運営されており、企業も銀行もレストラン、デパートなど、金曜は午前中営業し、土曜日は休業するところがほどんどです。安息日に機械を運転することはなく、熱心なユダヤ教徒はシナゴーグに行きます。ユダヤ教徒、キリスト教徒の中にはエゼキエル神殿が近い将来建設されると信じている人もいます。その一方でアジア最大のゲイパレードが行われているのもイスラエルです。ユダヤ教徒の中でも聖書に書かれているとおりの律法を重んじ、行なっている人たちは10%にも満たない数字です。いざエゼキエルの神殿ができ、いけにえを捧げる準備も整ったとき、いったい誰が聖所に入ることができるのでしょうか。
エゼキエル42章 主に近づく祭司たち
エゼキエル41章 ケルブには二つの顔があった
エゼ41:18「ケルビムと、なつめやしの木とが彫刻してあった。なつめやしの木はケルブとケルブとの間にあり、おのおのケルブには二つの顔があった」
ソロモン神殿では10キュビトのケルビムが翼を広げ、神殿の中で一方の壁からもう片方の壁まで届いていたと書かれています(1王6:25-27)。新改訳の1キュビトを44センチだとするなら、4.4メートルのケルビムが神殿の中で翼を広げているのです。エゼキエルの最初はケバル川のほとりでケルビムの幻を見ることから始まっています(1:1-5)。その幻によるなら、ケルビムには4つの顔と4つの翼があるとなっています(1:6)。顔は正面が人、右に獅子、左に牛、うしろに鷲となっています(1:10)。これはヨハネが見た4つの生き物の顔と同じです(黙4:7)。エゼキエル神殿の本堂の壁には人の顔と獅子の顔が彫ってあると書かれています(19)。どちらが右かわかりませんが、なつめやしとなつめやしの間にケルブがあり、片方のなつめやしに人の顔が向けられ、もう一方のなつめやしに獅子の顔が向いているのです。エゼキエル神殿のケルビムは彫刻として登場し、ソロモン神殿のケルビムは立体の像として大きく翼を広げています。もし、これからエゼキエル神殿が建てられるのなら、ぜひケルビムをどのように表現するかを見てみたいものです。そして、その造形が誰の手によって作られるのかは興味津々です。