ネヘミヤ9章 私たちは奴隷です

ネヘ9:36「ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です」
バビロン、ペルシャと支配者が変わっても、彼らが捕囚であり、奴隷の状態であることは変わりませんでした。世界では大きな大戦を2回も経験し、その反省からどの国も戦争をやらなくなっています。日本でも戦後70年以上が経ち、1世代あるいは2世代と時代が移り行く中で、70年前のことを知らない世代がほとんどになっています。ユダヤ人たちは自分たちが奴隷の状態にもかかわらず、聖書を離さず、常にその教えを守ってきたのです。彼らはなぜ自分たちが国を失い、立派な神殿があるにもかかわらず、律法にある礼拝や祭りを行えないかをアブラハムの時代までその起源を見出すのです(7)。おそらく当時は聖書のコピーもそれほど多くはなく、レビ人たちが写したモーセ5書を回し読みしていたのだと思われます。彼らは聖書を通して、自分たちがいかに主を怒らせたかを知りました(27)。さらに、主が預言者を通して戒め、なんとかしてイスラエルの民を正しい主の道へ導こうとしていたのも理解していました(30)。自分たちの先祖は失敗したが、今神殿も城壁も回復してくださった神に賛美をささげ、主に栄光を帰したのです(2-5)。この後、自分たちの現在置かれている立場を理解し、先祖のとがを繰り返さない誓いをするようになり、神殿に使える全ての人が盟約を結びます(10:28)。

ネヘミヤ6章 門にとびらを取りつけていなかった

ネヘ6:1「さて、私が城壁を建て直し、破れ口は残されていないということが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他の私たちの敵に聞こえると、―その時まで、私はまだ、門にとびらを取りつけていなかった―」
工事も終盤に差し掛かり、城壁に破れたところが残されておらず、あとは門を取り付けるだけになりました。サヌバラテやトビヤたちは、工事が終わるとユダヤ人だけの共同体ができて、今までもらっていた賄賂が手に入らなくなるだろうと考えたのだと思います。トビヤは有力者の娘の婿で、自分の息子も有力者の娘を嫁にもらっており、その関係は根深いものでした(18)。彼らの悪政は穀物を税に取られ、自分たちの食べる分がない(5:2)とか、税金の支払いのため畑や家を抵当に入れなければならない(5:3)、息子や娘を奴隷に売らなければならない(5:5)などの証言から分かります。ネヘミヤの城壁修復は、それらの権力者たちに屈せず、槍や盾を手にしてまで作業するさまを見たユダヤ人たちが彼に信頼を置くようになっています。同時に神殿が完成し、城壁修復も終わるなら、王から特別な命令を受けているネヘミヤが、サヌバラテやトビヤたちの利権を奪うように王に進言しかねません。城壁の門のとびらは工事終了の象徴的な存在で、彼らの焦りは加速していきます。なぜならネヘミヤは負債を帳消しにしたり、穀物を融通したり(5:10)して、トビヤたちの悪政に対抗したからです。彼らは門の修理をきっかけにネヘミヤ暗殺へ舵を切るのです(1-8)。

ネヘミヤ4章 角笛の鳴るのを聞いたら

ネベ4:20「どこででも、あなたがたが角笛の鳴るのを聞いたら、私たちのところに集まって来なさい。私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ」
神がすべてを働かせて益にしてくださることは聖書を読む者なら知っていることです(ロマ8:28)。神が守ってくださるなら、槍や盾を持って作業する必要はないはずです。ネヘミヤは「私たちは神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた(9)」と言っています。神が守ってくださるからと言って、寒い冬に裸で寝る人はいないでしょう。人には知恵が与えられています。ネヘミヤのように敵に備えて日夜見張りを立てることは、神に信頼していないことではありません。すべてをゆだねるということを、自分の判断をまったく放棄することと勘違いしてはなりません。祈り求め、自分が出来る範囲の努力は惜しまずするべきだと思います。しかし、その結果は主にゆだねるべきです。ウリムとトンミムの石を取り分けるように、どちらの結果が出ようが、すべては主がご存知です。「角笛」は行進や出撃の合図です。何か起きるならすぐに集合して、次の行為に備えるのです。結局、ネヘミヤは夜警の当番を決め、昼間働けるように工夫しました(22)。エルサレムの城壁が完成するなら、その土地の権力者たちは自由にそこに入れなくなるかもしれないと恐れたのだと思います。ペルシャ王と土地の利権者の意識はかけ離れていました。

ネヘミヤ2章 ホロン人サヌバラテ

ネベ2:10「ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤは、これを聞いて、非常に不きげんになった。イスラエル人の利益を求める人がやって来たからである」
このサヌバラテがネヘミヤ書を通じて、城壁の修復の妨害をする者となります。城壁が少しでも修復したのを聞くなら、サヌバラテや土地の権力者たちが、実力で阻止しようとします。そのため、まず日夜見張りを置かなければなりませんでした(4:9)。さらに、工事の半分の人数を割いて、槍、盾、弓、よろいで身を守る必要がありました(4:16)。聖書には「城壁を築く者たち、荷をかついで運ぶ者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を堅く握っていた(4:17)」と書かれています。さらに城壁の修復が進むと、ネヘミヤにはユダヤ王によってペルシャに謀反の疑いがあると難癖をつけて、工事中止を要求します(6:2-7)。サヌバラテたちのおかげで、作業は遅れる一方です。極めつけは、大祭司エルヤシブの子エホヤダのひとりの子がサヌバラテの娘を嫁に取っていたため追放した(13:28)とあります。大祭司の親族の中に異邦の女、それもサヌバラテの娘と結婚していた者がいたのです。モーセの後、イスラエルが約束の地に入ろうとしたとき、アナク人を見て意気消沈し、エジプトに帰りたいと願う場面があります(民13:33-14:3)。主が用意してくださったはずなのに、思い通りにいかない経験をネヘミヤもしています。

エズラ10章 あなたの肩にかかっています

エズ10:4「立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください」
不信の罪の根拠となったのが「彼らと互いに縁を結んではならない(申7:3)」と書かれている申命記の命令です。誰もがこの罪によって、今までの神殿再建の作業や用具の整理、祭り、いけにえなどが無駄になったと感じたのかも知れません。他の部分は主に従っていても、この1点だけは大きな問題となって彼らにのしかかります。中には子どもをもうけた者もいて(44)、異邦人を追い出すことは、自分の家族を失うことを意味します。エズラが判断しなければならないのは、律法に違反したから悔い改めよ、という簡単なものではありませんでした。しかし、エヒエルの子シェカヌヤ(2)が言うとおり、エズラがここで決断しなければ、今までの苦労は水の泡になってしまうのです。ネヘミヤの最後にも同じ問題が書かれています(ネヘ13章)。エズラもネヘミヤも、どちらの書簡の最後は神殿再建し、再びエルサレムで主を礼拝する喜びで満たされるようなハッピーエンドで終わっていません。むしろ、捕囚70年のあいだに律法を忘れ、異邦の民とつきあうことを覚えてしまったのです。エズラ、ネヘミヤともこの問題に直面して、ますます主の力を必要としたと思います。ネヘミヤの最後は祈りのことばで終わっています(ネヘ13:31)。難しい問題ほど主を求めるようになるのです。

エズラ8章 私たちの神に願い求めた

エズ8:23「だから、私たちはこのことのために断食して、私たちの神に願い求めた。すると神は私たちの願いを聞き入れてくださった」
アルタシャスタ王前にはアハシュエロス王もおり、彼の時代にはエステル、モルデカイというイスラエルの神を信じる者たちが証しをしていました(エス1:1)。アルタシャスタ王は祭司エズラに相当な権限を与え、何をしても良いことになっています。それは手紙の中にもあり「天の神の宮のために、天の神によって命じられていることは何でも、熱心に行なえ(7:23)」とあります。そして、その最大の理由は「御怒りが王とその子たちの国に下るといけないから(7:23)」と書かれ、神を恐れる一文があります。このようないきさつでエズラに主にささげる金や銀が託され、神殿に仕える多くの奉仕者を連れてエルサレムに行くことのなったのです。それだけアルタシャスタ王が、神を恐れてるにもかかわらず、道中警護してくれるように頼むのは、神に力がないように見えるのを恐れたのだと思います(22)。神を尋ね求めるなら、主の御手がその者の上にあるはずです。それでも、エズラは断食し、主の前でへりくだったので、神はエズラの願いを聞き入れました。道中、金銀を狙う者たちから守り、無事にエルサレムまで到着できました(31)。もし、襲われたならアルタシャスタは、イスラエルの神はあてにならないと援助をことわるはめになるかもしれません。

エズラ5章 命令が下されたかどうか

エズ5:17「ですから今、王さま、もしもよろしければ、あのバビロンにある王の宝物倉を捜させて、エルサレムにあるこの神の宮を建てるためにクロス王からの命令が下されたかどうかをお調べください。そして、このことについての王のご意見を私たちにお伝えください」
エルサレムに残り、住み続けていたユダヤ人たちは、同胞が帰還し神殿を再建するのと見て喜び、一緒に作業したいと申し出ました(4:2)。しかし、帰還したゼルバベルたちはこれを拒否し、そのことがきっかけで在留のユダヤ人たちは作業の妨害をします(4:4-5)。さらに、エルサレムにいたペルシャの高官たちは、神殿再建が完成するなら税金を納めなくなり、王の収入に損害を与えることになると、訳のわからない手紙を送り、王から圧力をかけさせ工事を中断させています(4:13-24)。クロス王から、アハシュエロス(4:6)、アルタシャスタ(4:7)、と続き、今回ダリヨス王に代わっています(7)。創世記ではヨセフがエジプトを飢饉から救い王に次ぐ位になりましたが(創41:41)、そのエジプトのパロが死にヨセフのことを知らない王が出てきたとき、ユダヤ人がなぜエジプトにいるかを理解できませんでした。ペルシャも同様に、前王の命令を知らなければ、なぜエルサレムユダヤ人が集まり神殿を修復しているのかはわからないと思います。それゆえに、クロス王が文書にしておふれを出したことは(1:1)ユダヤ人にとって追い風となりました。ペルシャの正確な書簡の保存のゆえに(6:2)、ダリヨスも神に目を向けることになったのです。