語りぐさになる

エゼ14:9「もし預言者が惑わされて、ことばを語るなら、―主であるわたしがその預言者を惑わしたのである―わたしは彼に手を伸ばして、わたしの民イスラエルのうちから彼を根絶やしにする」
愛なる神が預言者を惑わしたりするのはちょっと理解に苦しみますが、惑わすに至った経緯を理解するなら主がなぜそうしたかが判るようになります。そもそもはユダヤ人側に問題があったのです。「心の中に偶像を秘め、不義に引き込むものを自分の顔の前に置きながら(4)」…神のことばを聞こうとしても無駄です。心の中を見られる神は、そういう人たちに対して本当のことは言いたくないと思います。主に近づくのに偽りがあってはいけません。いけにえや身の清めなどはすべて主に近づく前に余計なものを取り除くためのものです。新約の時代には「悔い改め」がこれに相当すると思われます。心に何かわだかまりや憎悪、嫉妬などの感情を持ったままでは、主の御前に出ることはできません。「わたしは主をうまくだましていのちが救われました」などという者がいないように、主は人の心を試し、まことの心を持つ者が決して不公平にならないように見ておられます。ときには預言者の預言を惑わすこ とばに変えても、本当に信じる者を見分け、後世への語りぐさになるように働いておられるのです(8)。