快楽が懐かしい

エゼ23:21「このように、あなたはエジプト人があなたの若い胸を抱きしめ、あなたの乳房をもてあそんだあの若い時のみだらな行ないをしきりに望んだ」
エジプトでの430年の奴隷生活は苦しいものだったはずですが、ユダヤ人たちはそのときからみだらな行い(偶像崇拝)をしていたのです。新約ではステパノが出エジプト直後の荒野ですでにモロクやロンパの神を担いでいたと証言しています(使7:43)。あれほど苦しかった生活から助け出され、海を分け、岩から水を出し、空からマナを降らせても、彼らから偶像を取り去ることはできなかったのです。奇跡を見ただけで主だけを礼拝するようにはならない…という現代の人にも当てはまる教えがここにあります。人の肉の思いは果てしなく、おそらく死ぬまでその誘惑は尽きることはないのでしょう。エジプトを懐かしむように、神のない世界で味わったあらゆる快楽は信仰から離れるように誘惑してきます。イスラエ ルとユダも同じように快楽の虜になっていました。他の国と姦淫するというのは、違う神を信じる環境の下で妥協を繰り返すことです。習慣とはいえ、違う宗教のしきたりに従うことは難しいものです。日本で生活するなら、その違和感に少なくとも1回は遭遇したことがあると思います。気をつけなければいつの間にか妥協の道を歩むことになってしまいます。