ツァドク以外のレビ人

エゼ44:12「それなのにレビ人たちは、民の偶像の前で民に仕え、イスラエルの家を不義に引き込んだ。それゆえ、わたしは彼らに誓う。―神である主の御告げ―彼らは自分たちの咎を負わなければならない」
エゼキエル神殿では従来のレビ族の祭司が奉仕をするのではなく、ツァドクの子孫だけが仕えることを許されています(15)。その理由としてレビ人が偶像に仕えイスラエルの家に不義を引き込んだからと書かれています。そして、ツァドクの子孫には着る物(17.19)、かぶり物(18)、頭髪(20)、飲酒(21)、結婚(22)、死体に触れること(25)、が定められ、これらすべては聖めに関することです。ツァドク族以外のレビ人には主からのさばきがあり、罪に対して彼ら自身が償わければなりません。新約でヤコブが「私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです(ヤコ3:1)」と語っているように、主に仕える仕事の人は祝福も大きいですが、主から求められるものも大きいのです。それは旧約でいうなら祭司、レビ人たちのこと です。カトリックでは神父、司祭とランクがあり、法王ともなれば、4億人の信者の頂点です。プロテスタントでも同様に牧師、教師、伝道師、預言者など主に仕える役職があります。誰であれへりくだりを忘れ、主に仕え、人に仕える本文を忘れその仕事に特権意識を持つなら、主からの厳しい取り扱いを受けることになるでしょう。