罪を犯すひと

2歴6:36「彼らがあなたに対して罪を犯したため―罪を犯さない人間はひとりもいないのですから―あなたが彼らに対して怒り、彼らを敵に渡し、彼らが、遠くの地、あるいは近くの地に、捕虜として捕らわれていった場合」
厳密に言うならば罪を一度でも犯した者は死刑です。罪は甘い誘惑にのってやってきて、罪を犯す瞬間は快楽を伴うものでしょう。しかし、快楽と引き換えに得るものは「死」です(ロマ6:23)。ソロモンは自分を含めてだれ一人罪を犯さないものはいないと悟っていました。聖書で説明している死は一般にいう体の機能が停止し、呼吸も意識もなくなってしまう…というものではありません。「死」とは神の前にいられないことを意味します。いのちがあるのは神の前に進み出るための機会が与えられているに過ぎません。寿命がある限り何度でもその機会を使うことができ、神もいのちの尽きるまで人が神に立ち返ることを待っておられます。ただし肉体の寿命が尽きるなら、さばきがまっています。クリスチャンが喜ぶのは死から開放され、罪の奴隷である必要がなくなるからですが、それでも罪を赦された存在ではあっても、罪を犯さなくなったわけではありません。常に神の前に立ち、自分の心を見張っていなければ、罪の誘惑は襲ってきます。それも神が与えてくださった知恵であり、高慢にならないためのとげだと思います。