ヘロデ党とパリサイ人

マコ3:6「そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた」
エス様の味方になり得る人は病気や経済的に困窮している人たちでした。その反対にイエス様を快く思わない人たちもいました。ヘロデ王はイエス様の誕生のときに2歳以下の赤ん坊を皆殺しにした経緯があります(マタ2:16)。そのヘロデ王が死んだあとアケラオが一時王になりましたが(マタ2:22)、すぐに退位しユダヤ地方を4分割統治となり、マルコやルカに出てくるヘロデ王ガリラヤ地区の王です(ルカ3:1)。その弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方、ルサニヤがアビレネの国主だとあります(ルカ3:1)。さらにローマ派遣のユダヤ総督がピラトです(ルカ3:1)。ヘロデ党はイドマヤ人(エドム人)のヘロデが王を継承することを支持する人たちのことで、ユダヤ人とは仲の良い関係ではなかったようです。しかし、ヘロデ党とパリサイ人は現状維持を望んでいたために、民衆を混乱に巻き込もうとするイエス様を排除したいと願って手を組んだのです。また、ヘロデとピラトは敵対関係にあったのにイエス様のゆえに仲良くなったとあります(ルカ23:12)。サタンであっても内輪もめしていては前に進まないというイエス様の言葉通りです(マタ12:26)。