詩篇143篇 あなたの前に義と認められない

詩143:2「あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです」
「いける者はだれひとり」とありますが、それならば地球上の人間すべてが義と認められないことになります。ダビデはもし人が神の前でさばかれたなら誰一人生き残る者はないことを薄々感じていたと思います。ダビデの詩の中にはパウロがローマの手紙で引用した(ロマ3:12)、「善を行なう人はいない。ひとりもいない(14:3、53:3)」があり、ダビデが何度も神の前で正しく「義」であると認められることはないと主張しています。この絶望的な義人のいない状況を解決されたのがキリストの十字架です。聖書には「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです(ロマ10:4)」と書かれ、福音の根幹をなすことばとなっています。また、ガラテヤの手紙でも「キリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる(ガラ2:16)」とあります。生ける者がさばかれることはありません。すべては死後に行われます(ヘブ9:27)。この詩は息子アブシャロムに追われたときの詩ではないかと言われています(2サム15章)。たとえ自分が神の御心に完全にかなう者ではなくても、主を慕い求めることがダビデの全てだったのです。