マタイ12章 安息日の神聖を冒しても罪にならない

  • マタ12:5「また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、律法で読んだことはないのですか」

エス様の弟子たちがひもじくなって穂を摘んで食べました(1)。申命記には「隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない(申23:25)」とあり、律法によるならば手で摘んで食べた行為は罪にはなりません。しかし、その日が安息日だったのが、パリサイ人の攻撃の的となりました。つまり、手で摘んでほぐしたことが「脱穀」にあたるというのです。イエス様はダビデの例を挙げて、パリサイ人をたしなめています。その話はダビデがサウル王から逃げているとき、弱り果てて祭司のもとに行き食べるものを分けてほしいと願うと、毎日捧げるパンがちょうど捧げ終わって、前日のパンが手元に残っていました。それは祭司が食べてもよいものですが特例としてダビデが食べることができたというものです(1サム21:3-6)。それが安息日かどうかはわかりませんが、仮に安息日だとしても祭司が毎日のパンの捧げものやともし火を絶やすことはありません。現代の祭司や牧師が日曜に休まないのと同じことです。安息日に食べてはならないという律法はありません。何にフォーカスを当てるかが問題なのです。