申命記25章 牛にくつこを掛けてはならない

申25:4「脱穀をしている牛にくつこを掛けてはならない」
「くつこ」は「口籠」と書き、口がある一定以上に開かないようにする道具です。脱穀をしていると、どうしても落ちこぼれる実が出てきます。牛がその実を食べないようにするのが「くつこ」の役割ですが、主はくつこをしてはならないと禁じています。意味がわかりにくいですが、テモテに宛てたパウロの手紙の中にこのことばが使われており(1テモ5:18)、その意味は働く者が報酬を受けることは当然だからと書かれています。また、困窮している人や在留異国人に対しては、賃金はその日のうちに日没前に支払わなければならないとも書かれています(24:15)。たとえ牛であろうとも労力にあった報酬を与えよという神の考え方です。もちろん、これは比喩的な表現だとは思いますが、パウロは、みことばと教えのためにほねおっている人には二重の尊敬がふさわしいとテモテに教え、申命記のことばが必ずしも報酬のことを指しているのではないことを示唆しています。牛にとっては脱穀からもれた麦を食べることができるのは、自分が働いているからだということを知りません。周りの人が労する人を見て正しく判断することが神が教えたかったことだと思います。それが金銭であっても、尊敬の念であっても、労する人を見る人が正しい心を持つことです。牛のことが書かれているからといって、牛だけに目をとめてはならないのです。