2テモテ4章 世を去る時はすでに来ました

2テモ4:6「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました」
多くの伝承ではパウロは皇帝ネロに首をはねられて死んだことになっています。「世を去るとき」というのは、死刑の判決を受けたことを指しているのかも知れません。その仮定のとおりだとすると、「早く私のところに来てください(9)」や「マルコを伴って、いっしょに来てください(11)」、「何とかして、冬になる前に来てください(21)」という言葉には、間も無く会えなくなるパウロの焦りのようなものを感じます。しかも、この手紙は最も大切に育てた愛弟子テモテに宛てているのです。手紙でなく、どうしても会って話をしておきたいことがあったのかも知れません。「走るべき道のりを走り終え(7)」というのも、十分に宣教の仕事をやり尽くしたという言葉に聞こえます。そして、パウロは「義の栄冠(8)」を主からいただけるようになっているようです。パウロは「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです(ロマ14:8)」と言い、また「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です(ピリ1:21)」と、死ぬことについて彼自身の悟りを手紙に残しています。世を去ることは、神の元に行けると同時に、地上の人たちと別れることを意味します。手紙の文面からは、個人名が多く登場していることから、挨拶をしておきたい兄弟姉妹たち、気になっている兄弟たちをテモテに託しているように感じます。