詩篇95篇 わたしのわざを見ておりながら

詩95:9「あのとき、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながら、わたしを試み、わたしをためした」
9節から11節までは歌い手が「主」の一人称「わたし」を使って歌っています。「あのとき」はエジプトから脱出したときのことです。葦の海を分けたことが印象に残りますが(出14:21)、イスラエル人は他にもマナを降らせたことや(出16:4)、水を甘くしたことなど(出15:25)多くの不思議を目撃しているはずです。特にエジプトでの10の災いは、エジプト人も体験した生ける神のわざの奇跡です。その中でもイエス様の時代まで語り継がれ、毎年決まって神殿に行くことになっていた「過越の祭り」のもとになった奇跡は、購いの血が鴨居に塗ってあれば災いから逃れることができるという、主のわざの中でも最も大きなものでした(出12:22-23)。イスラエルの民全員が雲の柱と火の柱を目撃しており(出13:21)、主の臨在を目の当たりにしていたはずですが、何か不都合があると主を疑い、主を試みようとしたのです。この詩篇ではそのことが語られており、はっきりと主の存在を示したにもかかわらず、不信仰だったことで出エジプトをした最初の世代を約束の地に入れないことを語っています。歌い手は約束の地に入った民の子孫です。いかに大きなわざをイスラエルにしてくださったかを感謝を持って喜び、大いなる神をたたえるのです。