1サムエル26章 あの槍で彼を一気に地に刺し

1サム26:8「アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません」」
ダビデの手には琴、サウルの手には槍という場面が2度ほど登場していますが(18:8、19:10)、琴は神を賛美する楽器で、槍は人を刺す武器です。サウルが手に握った槍を離さないのは、誰かを傷つけようとする肉の思いからです。槍はサウルの肉の象徴です。もし、その槍で刺し殺されたなら、サウルは自分の肉の思いによって死んだことになります。サウルの強情さや嫉妬心が、自分に跳ね返って死ぬのは皮肉なことです。しかし、ダビデは「油そそがれた者」の死を人が決めることはではない、ましてや自分が手を下すことなど絶対にできないと考えていました(11)。確かにアビシャイの言うように、サウルがダビデの目の前で無防備な様子をさらけ出したのは(7)、神がサウルのいのちをダビデに渡したように見えます。ダビデを追い回し、ダビデも逃亡生活に疲れていたはずです。神の与えた試練を甘んじて受け入れなければ、何のための試練でしょうか。相手が「油そそがれた者」ならばなおさらのことです。ここで逃亡劇を終わらせることもできたでしょう。アビシャイの言う人間的な思いは誘惑でしたが、ダビデ自身も油がそそがれており(16:13)、サウルを否定することは自分に注がれた油も否定することになるのです。