詩篇120篇 ケダルの天幕で暮らすとは

詩120:5「ああ、哀れな私よ。メシェクに寄留し、ケダルの天幕で暮らすとは」
この詩の表題には「都上り」とありますが、120篇の原文には「tsarah(ツァラー)」という単語が付いており、「困難」とか「苦悩」の意味があります。都上りは英語で「ascents」となっており「登る」の意味です。この歌い手は他民族に寄留していたようで、メシェク、ケダルの名前が出てきます。ケダルはイシュマエルの次男の名前で(創25:13)、メシェクはヤペテの6男です(創10:2)。メシェク族はモスクワの語源で北に住む民族で(エゼ38:2)、ケダル族は荒野に住む民族なので(イザ42:11)、歌い手はその両方の捕虜になったか、奴隷として売られたのだと思います。エルサレムから遠くに住み、エルサレムを思うとき、自分が置かれた環境を主に訴えている詩です。歌い手が「平和」すなわち「shalowm(シャローム)」を望むとき、彼らは戦いを望むのです(7)。彼らはいつも偽りを語り、人を欺いています(2)。異教の神を信じる者たちには、イスラエルの神の戒めがありません。自分の欲のままに生きている様子がわかります。どうやら歌い手の立場は低いようなので、訴えても思い通りにはなりません。原題にある「苦悩」もうなずけます。それでも歌い手の心には主への信仰があり、主を求めたとき、私に答えられたとあります。