詩篇126篇 喜び叫びながら帰って来る

詩126:6「種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」
エス様の言われた「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから(マタ5:4)」ということばとよく似ています。悲しみを味わなければ、喜びがわかりません。人生ずっと喜んでいる人がいたとしたら、その人は神から愛されていない人です。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられる(ヘブ12:6)は真実であり、キリストを受け入れた者たちは同じように経験があるはずです。この詩編の歌い手も、エルサレムから長く離れており、都が元通りになったことが夢のようだと歌っています(1)。エズラ、ネヘミヤを読む限り、神殿再建まではかなり困難な道のりだったと想像できます。なによりも70年もの間に、イスラエルの民が律法を忘れてしまっていました。ネヘミヤはエズラを指名し、彼に律法を教えさせたのです(ネヘ8:1)。そのように一からスタートした神殿再建も、イエス様の時代にはすっかり回復しており、過越の祭りには都へ上る人たちでいっぱいだった様子が福音書に書かれています(ヨハ11:55)。この歌い手が歌ったように都は回復し、喜びながら人々はシオンに帰ってきました。キリストを信じる者たちも同じように、涙とともに種を蒔く者たちは喜びの刈り取りをするのです。