詩篇119篇 あなたがたを祝福します

詩129:8「通りがかりの人も、「主の祝福があなたがたにあるように。主の名によってあなたがたを祝福します」とは言わない」
収穫の際に近所の人たちがあいさつするのはよくあることのようで、ルツ記のなかにも「ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように」」という記述があります(ルツ2:4)。このとき刈る者たちも主の祝福があるように返事を返しています(ルツ2:4)。しかし、この詩の中では刈る者たちは収穫をしようとしても、まだ伸びていない草を見つけるだけです(6)。なぜなら十分に成長していないからです。歌い手はシオンを憎む者は、誰からも振り返られず、見捨てられた存在になるようにと歌っています。逆に言うならシオンを求める者たちには主の祝福があるようにと声をかけられるようになります。この詩の最初は「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた(1)」から始まっています。たとえ苦しめられても、主は道を備えてくださり悪者の綱を断ち切ってくださいました(4)。この詩では道を供えてくださったことを「長いあぜを作った」と表現されています。「耕す者(3)」は主のことだと思います。聖書学者の中には「若いころ」とはエジプト時代のことではないかと考えている人たちもいます。若いころに苦しめられたけれども、彼らは私に勝てなかったという表現はモーセ出エジプトのようにも聞こえます。