エレミヤ2章 質の悪い雑種のぶどうに

エレ2:21「わたしは、あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに、どうしてあなたは、わたしにとって、質の悪い雑種のぶどうに変わったのか」
何ごとも最初は新鮮で、うまく行くように思えるものです。主ご自身も荒野でイスラエルの民に律法を与えたころを思い出し、「あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている(2)」と語っています。まるで婚約時代の愛のようなら、これからバラ色の人生が待ち受けていると誰もが考えます。しかし、時間が経つにつれてイスラエルの民は主を離れ、むなしいものに従ったのです(5)。そのときでも、イスラエルの民は「主はどこにおられるのか(6)」と尋ねることもありませんでした。主が植えたぶどうは、良いものでした。しかし、生えてきて実を結んだものは悪い雑種のぶどうだったと書かれています(21)。水はみことばであり、聖霊を指します。エジプトのナイル川の水、ユーフラテスの水を求めてさまようのは、主ご自身の備えてくださったいのちの水に背を向けることになります(18)。イエス様が言われた「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません(ヨハ4:14)」は、旧約の時代にも主がイスラエルに与えようとした水と同じものだと思います。パウロはもし不信仰を続けなければ、栽培された木にもっとたやすくつぎ合わされるようになる、と語っています(ロマ11:23-24)。