エレミヤ9章 わたしを知っていることを

エレ9:24「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。―主の御告げ―」
イザヤは主を知ることについて「それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である(イザ11:2)」だと預言し、主の霊が主を知る知識を教えてくださるとしています。また、ソロモンは「主を恐れることは知識の初めである(箴1:7)」と語り、主を恐れることが何よりもまず知らなければならないことだとしました。パウロは「どうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります(2コリ11:30)」と語っています。エレミヤの預言の「誇るな(23)」というのは、主ご自身が語られたものです。知恵も力も富も(23)、人が高慢になり増長する要因になり得るものです。知恵がある者は愚かな者を見下し、力のある者は力のない者を蔑み、富のある者は貧しい者を支配したがります。このように「ある者」は「ない者」への優越感と支配欲に浸り、公平さや正義から離れてしまいます。資本主義の最大の弱点はここにあります。エレミヤの預言にあるように、すべての「ある者」が、神を知ることを誇りにし、自分に与えられた知恵、力、富を神の御心のままに扱えれば、公儀と正義は保たれます(24)。今はサタンがこれを握っているので(ルカ4:6)、主が来られるまで待たなければなりません。