エゼキエル14章 ゆえもなくしたのではない

エゼ14:23「あなたがたは、彼らの行ないとわざとを見て慰められる。このとき、あなたがたは、わたしがそこでしたすべての事はゆえもなくしたのではないことを知ろう。―神である主の御告げ―」
おそらく逃れてエゼキエルのもとにやって来たのは、額にしるしをつけられた者たちを指しているのだと思います。エゼキエルは6人の破壊する者たちと、1人の腰に書記の筆入れをつけた者とを見たことがあります(9:2)。そのときに、腰に書記の筆入れをつけた者が町中をめぐり、エルサレムでの忌み嫌うべき行ないを嘆く人々の額にしるしをつけるように主から命じられています(9:4)。どれだけの人がいたかは書かれていませんが、彼らの主に対する態度や行動は、異教に走った者たちのものとは違っていました。エゼキエルがそれらの逃れた人たちを見るとき、主が理由もなくエルサレムにわざわいをもたらしたのではないことを知るようになると言われています(22)。聖書の中では、ソドムとゴモラ(創19:25)、過ぎ越し(出12:23)、出エジプトの海を分けたとき(出14:27)、ヒゼキヤがアッシリアから囲まれたとき(2王19:35)など、あらゆるときに神は正しい者を救い出されています。主は正しいお方なので、さばきのときでも正しい者を悪者と一緒に滅ぼすことはなさいません。主を裏切り続けたイスラエルとユダの中にも、主に従う者たちが残っていたことを知るとき、エゼキエルは慰められるのです。