2列王機5章 主は生きておられる

2王5:20「そのとき、神の人エリシャに仕える若い者ゲハジはこう考えた。「なんとしたことか。私の主人は、あのアラム人ナアマンが持って来た物を受け取ろうとはしなかった。主は生きておられる。私は彼のあとを追いかけて行き、必ず何かをもらって来よう」
預言者の妻が困窮しているとき、エリシャが油を器の限り満たしたことはゲハジも見ていたはずです(4:3-6)。「私が仕えている主は生きておられる(16)」と言ったエリシャの言葉は嘘偽りのないもので、主が必要なものは与えてくださるという信仰からきたものです。同じ「主は生きておられる(20)」と言ったゲハジの考え方は違っていました。このヘブル語で「jehova hay(ジェホバ ハイ)」と書かれている「主は生きておられる」ということばは、主が働かれるという意味が含まれています。ゲハジは主がナアマンを通して贈ってくださった恵みをエリシャが断ったのだと考えました。ゲハジは、エリシャを養ってくれたジュネムの裕福な女について、彼女には子どもがいないことを知らせたことがあります(4:14)。ゲハジがまったくの悪人で、欲深い者だったとは思えません。しかし、ナアマンから贈り物を受け取ろうとしたときに、若い預言者のために銀と晴れ着をくださいと嘘を言うのです(22)。そのあとは、堕落の一途をたどります。まず、自分の家に贈り物を隠し(24)、エリシャからの質問に嘘を答えました(25)。ナアマンがエリシャを訪れたときには、ゲハジの心はまだエリシャとともにありました(26)。かすかな誘惑の声がゲハジの心にあったのです。