哀歌1章 エルサレムは罪に罪を重ねて

哀1:8「エルサレムは罪に罪を重ねて、汚らわしいものとなった。彼女を尊んだ者たちもみな、その裸を見て、これを卑しめる。彼女もうめいてたじろいだ」
哀歌はイスラエルを女性にたとえ、主の怒りを買い、見捨てられた様子を歌にしたものです。その原因は罪に罪を重ねたことにあります。一度や二度の失敗や過ちではありませんでした。特に主がお怒りになったのは、他の神々に使えたことです。ソロモンの時代は、ソロモンの知恵を聞きたくて多くの財宝を持って謁見に来ていました。そのときはイスラエルは最も繁栄し、イスラエルを訪れた人たちは驚き、感嘆し、羨望のまなざしで見ていたと思います。ソロモンを訪問したシェバの女王は「私は、自分で来て、自分の目で見るまで(1王10:7)」は、イスラエルの知恵と繁栄を信じられなかったと言っています。もし、イスラエルダビデ、ソロモンと続いたように、代々神を裏切らず、唯一の神だけを信仰していたなら、投げ捨てられずに済んだはずです。ここでは彼女の裸を見たような表現になっていますが、裸は着飾ることも、隠すこともできない状態を表しています。そして主のそむきの罪のくびきは重く、主の御手で首に結びつけられたとあります(14)。彼らは「なぜ」「どうして」と言えないのです。なぜなら、彼らがそのような目に逢っているのは、自分たちの不信仰のせいだということを知っているからです。