詩篇8篇 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました

詩8:5「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました」

最初に神が人を造られたときに、「われわれに似せて(創1:26)」と言われています。「似せる」のヘブル語「denut(デヌース)」は、「類似」や「のような」という意味があります。その結果として、人のたましいと霊は肉の中に閉じ込められ人は完成しました。ダビデによるならば、もともとは神に似るものとして、僅かながら神より劣る存在だったようです。それでも人が被造物には変わりありません。造られた者が自分のいのちを喜び、創造者の名を賛美するのが自然ですが、「罪」がそのような自然の形を壊してしまったのです。人はおごり高ぶり、ときには神に不平を漏らし、自分の道を正しいものとして歩もうとします。そのような人を見てノアの時代には一度は悪に歩む人を滅ぼしてしまった神ですが、人を愛する愛は変わりませんでした。人が悩み、苦しむような存在であっても、人を顧みられ、心に留められるのです(4)。「それはなぜ」と問われても、答えはでません。なぜ、これほど人を愛されるのかはダビデも不思議がっています。「いのち」があることが当たり前ではなく、それは与えられたものであり、神がいなければ人は存在し得ないのです。その神をほめたたえるのは人の務めなのではないでしょうか。