申21:23「その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない」
この記述のとおりにイエス様は十字架で死なれてすぐに墓に納められました。それはアリマタヤのヨセフという金持ちが、ピラトに直訴して遺体を渡すように願ったからです(マタ27:57-60)。マタイの福音書によればイエス様が十字架にかかって、12時から3時まで全地が暗くなったとあります(マタ27:45)。その後しばらくしてイエス様は息を引き取られました(マタ27:46-50)。ユダヤの慣習だと日没から次の日になりますから、イエス様の遺体を墓に運ぶのを急がなければなりません。なぜなら次の日は祭りの最終日14日と安息日が重なった「大いなる日」で(ヨハ19:31)、誰も外には出れなくなるからです。もし、安息日に、遺体を降ろして墓に葬るなら、それは労働と見なされ、ユダヤの社会では許されません。そう考えるとアリマタヤのヨセフもまた、神から備えられた器だったと言えるでしょう。マルコの福音書にはアリマタヤのヨセフは「有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった(マコ15:43)」と書かれています。木にかけられる者は、神にのろわれた者なのですが、イエス様には罪はなくのろわれる必要もありませんでした。ただ、人の罪を全部背負って、あえてのろわれた者となり人類全ての罪のいけにえとなられたのです。