申命記30章 遠くかけ離れたものでもない

申30:11「まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない」

モーセが告げた主の命令が難しいものならば、誰一人救われるものはいないでしょう。ただ、パウロがいうように、律法を守り行なうことだけがすべてではなく、キリスト・イエスを信じる信仰だけが義と認められるのなら(ガラ2:16)、難しくはないように思えます。もちろんモーセの時代は、主の戒めを心に留めて、神に従うことが求められました。モーセは主の御声に聞き従い、みおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主に立ち返るように命じています(10)。それゆえにキリスト・イエスを信じるときも、この御おしえは生きています。アブラハムは神を信じたゆえに、神はそれを彼の義とされたのです(ロマ4:3)。行ないではなく、信じた信仰のゆえに行動に現れるというのが、ヤコブの意見です(ヤコ2:14)。人が神を信じるときも、神は心を見られます。人も同じように、何かの奇跡を見なければ信じないと言わず、聖書に書かれていることが真実だと信じる信仰を持つべきだと思います。奇跡を待ち続けるなら、辛い人生になるかもしれません。信じることは難業ではなく、心のあり方です。そういう意味では、福音は遠くかけ離れてはおらず、常に人の周りに置かれているのです。