ルカ9章 手を鋤につけてから

ルカ9:62「するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」」

家族の人に今から宣教の旅に出かけ、戻るのはいつになるかわからない、と別れを告げに行くことが悪いことなのでしょうか(61)。「いとまごい」というのは、2017年訳では「別れを告げる」と訳されていますが、ギリシャ語「apotasso(アポスタッソ)」は、「別れる」という動詞でこの1つの単語で別れを家族に告げる意味を含みます。父を葬ることも(59)、家族に別れを告げることも(61)、後ろを振り返ることで、イエス様は神の国にはふさわしくないと述べています。現代では家族を思いやり、家庭をも治められない者が神の教会を治められないと考えられていますが、宣教に旅立つときには過去のいろいろなしがらみを捨てる必要があります。一度、手に鋤を持つなら、前に進み耕すしか道はありません。鋤を手にしながら、立ち止まったり、周りを見たり、後ろを振り返るなら、土地は耕されず種も蒔けません。過去には罪を犯したとか、以前は裕福な生活だったとか、人それぞれの人生があるでしょう。いどまごいをした人も父を葬ると言った人も、イエス様に出会った人です。イエス・キリストに出会って、罪赦された者として出発するときに、罪の時代の自分を振り返り懐かしむなら、それはロトの妻のように塩の柱にされてしまうのです(創19:26)。