エペソ5章 キリストは教会のかしらであって

エペ5:23「なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです」

甲斐性のないだらしない男と結婚した女は苦労すると思います。いくら聖書が命じていても、生活が回らないとどうすることもできません。しかし、夫に従う姿を通して、夫が心を入れ替えしっかりと働くようになるかもしれません。現状を見るならばどうしようもないことも、聖書の示すように従う姿を見せることはクリスチャンとしても大切なことだと思います。人を変えることはできませんが、自分を変えることはできます。ローマの手紙の中には「神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい(ロマ12:2)」と書かれ、自分が神に従うように、多くの人に仕える姿を見せることができるなら大きな証しとなるでしょう。自分が変わらないのに「あの人をどうにかしてほしい」と願うのは何か違っていると思います。まず、自分の態度が神に受け入れられるかどうかを吟味することが大切です。それが家庭の円満であり、妻の態度と同時に夫も妻を最大限気遣う心配りが必要です。従うからといって高慢になり、横柄な態度を取るようになるなら、聖書に書かれている意味がまったく歪曲されてしまいます。自分の体を労わるように妻をいたわることができるなら、キリストの教会は成熟したものになっていくでしょう。