コロサイ1章 御子によって造られ、御子のために造られた

コロ1:16「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです」

三位一体は325年のニカイア公会議(ニケーア公会議)にて採択され、それ以来キリスト教の正当な教えとなっています。新約聖書の正典を27巻と決定したのは397年のカルタゴ会議で、このときコロサイの手紙も正式に正典として認められました。三位一体の説明は、コロサイ人への手紙の最初の部分に書かれている内容に拠るものが大きく(15-20)、神と御子の関係が描かれています。その中でも「万物は、御子によって造られ、御子のために造られた(16)」は理解に難しく、父なる神と子なる神が同一でなければ理解できないものです。それではキリスト教は二人の神の宗教なのか、と多くの人は不思議がるでしょう。しかも、この上に「聖霊」が加わり、聖霊もまた神格を宿した神ご自身であると説明されるなら、どうやって理解すれば良いのかわからなくなってしまいます。パウロはコロサイの教会に、何の抵抗もなく当たり前のようにこの内容をを書いていますが、コロサイの人たちははたして理解できたのでしょうか。神は御子を捧げられたのか、ご自分を捧げられたのかどちらなのでしょう。三位一体を常識の範囲内で考えるなら、どうしても行き詰まってしまいます。キリストにある信仰と聖霊の助けによって、心に平安があるなら三位一体は真実なのです。