コロサイ2章 債務証書を無効にされた

コロ2:14「いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました」

人をさばきの目で見ることはクリスチャンでも犯す間違いです。ましてや神を信じないものたちが、キリストを信じる者に向かってさばきの目を投じることは避けられないことでしょう。イエス様の言われた「さばいてはいけません。さばかれないためです(マタ7:1)」は、キリストを信じる者が赦されたのになおさばきの目を人に向けることを禁じた戒めです。自分がさばかれない身になっているのに、他人をさばくのは思い上がりではないでしょうか。コロサイには「だましごのと哲学(7)」が広まっており、パウロも間違った考えが広まることを警戒しています。自己卑下(18)は日本人の好む態度で、自分は高慢ではないことを他人に示す行為でもあります。パウロが言うように「謙遜」や「肉体の苦行(23)」が賢いもののように見えるのは、目に見えない信仰を人間的な方法で高めようとしているのです。断食を高らかに宣言し、我慢する様子を見せることよりも「断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られる(マタ6:18)」ようにしてこそ、苦行の意味があるのでしょう。すべては心のあり方をパウロは言っています。上部だけでなく人の本心も見極めればと思います。