詩篇128篇 すべて主を恐れ

詩128:1「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は」

「幸いなことよ」の歌い出しは、詩篇1篇と同じです。ヘブル語「eser(エシャー)」が使われ、「祝福される」の意味を含んでいます。ここでは「主を恐れ、主の道を歩む」ことが幸いだとあり、詩篇1篇では「その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ(1:2)」となっています。「恐れ」は「怖い」ではなく、畏敬の念を持ち、馴れ馴れしい態度で接しないことです。確かに権威ある人の前では、うっかりした態度は取れません。続けて「あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう(2)」とあります。一般的には男は働き、妻や子どもを養うようになっていますが、最近では働かない人や、働けない人、あるいは家庭を守るために家事や育児に専念している人たちもいます。まだ、ダビデやソロモンの時代には、国は2つに分かれておらず、年に3回エルサレムに上ってくる人たちは(出34:23)、皆このように主を恐れ、そして喜びながら各地から集まったのだと思います。イエス様も12歳のときに家族でエルサレムに上った様子がルカ福音書に書かれています(ルカ2:42)。十字架以降、神殿の幕は裂け(マタ27:51)、一人一人が祭司となり、どこでも主と交わり、神との会見をすることができるようになりました。