エゼキエル18章 必ず生きる

エゼ18:9「わたしのおきてに従って歩み、まことをもってわたしの定めを守り行なおう。こういう人が正しい人で、必ず生きる。―神である主の御告げ―」

エレミヤも「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く(エレ31:29)」ということわざを引用しています。おそらく、イスラエルの民の中では有名なことわざで父の罪は子にまで及ぶというような意味だと思います。エゼキエル18章では主がこのことわざをはっきり否定しています。確かに人はアダムの犯した罪が源罪となり、わたしたちは罪あるものとなりました(創3章)。それでもノア、アブラハムモーセダビデなど主の目にかなう者たちが現われ、神とともに歩み人生をまっとうしています。彼らは死にましたが、肉体は死んだとしてもそのたましいは神のもとにあると思います。たとえいのちを長らえたとしても、罪を犯し続けるなら、その人は神の前で死んでいるのです。生きているあいだに自分の欲に従い、神の戒めを忘れ、暴虐の限りを尽くすなら、そういう人は神の前に死んだも同然です。「生きる」のヘブル語「haya(ハヤー)」は、「救われる」という意味を含んでいます。親の罪を子が背負うことはなく、ヒゼキヤの善行は息子マナセには引き継がれませんでした。世襲で善行や悪行が相続されるわけではないのです。