詩篇120篇 ケダルの天幕で暮らすとは
1サムエル31章 その上にうつぶせに倒れた
1サムエル28章 その人がサムエルであることがわかって
1サム28:14「サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした」
霊媒は聖書で禁じられているので、詳しいことはわかりませんが、サウルが禁を破って死んだサムエルの霊を呼び出す様子が書かれています。死後の世界を知ることは聖書の中にもわずかしか記述がないために、この霊媒師の記録は参考になります。神は霊媒や口寄せを嫌っており、神以外の霊と交わることは汚れることだとされています(レビ19:31)。なによりも心が霊によって奪われることを警戒しなければなりません。それはサタンの使う、肉の思いに対する誘惑とは違って、霊に直接働きかける危険なものです。霊の分野を犯されるなら、守りようがありません。そのために神は聖霊を送られ、人の心に直接働きかける助け手として働いておられるのです。サウルの時代はまだ聖霊が下る前の時代です。サウルから神が去り、預言者にも夢にも答えられないために(15)、苦肉の策としてサムエルに伺いを立てようとしたのです。サムエルとしては煩わされたと感じています(15)。死んだ者と交わることはその人を煩わせることのようです。神が定めたいのちの時間が過ぎると、さばきの座に着かなければならいときがきます(ヘブ9:27)。それは人に定められた神のおきてです。サウルもやがて死にます。生きているあいだに死んだ者と交わったとしても、サウルが死んで後、神のさばきの座に着かないということはないのです。
1サムエル26章 あの槍で彼を一気に地に刺し
1サム26:8「アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません」」
ダビデの手には琴、サウルの手には槍という場面が2度ほど登場していますが(18:8、19:10)、琴は神を賛美する楽器で、槍は人を刺す武器です。サウルが手に握った槍を離さないのは、誰かを傷つけようとする肉の思いからです。槍はサウルの肉の象徴です。もし、その槍で刺し殺されたなら、サウルは自分の肉の思いによって死んだことになります。サウルの強情さや嫉妬心が、自分に跳ね返って死ぬのは皮肉なことです。しかし、ダビデは「油そそがれた者」の死を人が決めることはではない、ましてや自分が手を下すことなど絶対にできないと考えていました(11)。確かにアビシャイの言うように、サウルがダビデの目の前で無防備な様子をさらけ出したのは(7)、神がサウルのいのちをダビデに渡したように見えます。ダビデを追い回し、ダビデも逃亡生活に疲れていたはずです。神の与えた試練を甘んじて受け入れなければ、何のための試練でしょうか。相手が「油そそがれた者」ならばなおさらのことです。ここで逃亡劇を終わらせることもできたでしょう。アビシャイの言う人間的な思いは誘惑でしたが、ダビデ自身も油がそそがれており(16:13)、サウルを否定することは自分に注がれた油も否定することになるのです。
1サムエル24章 敵を去らせるであろうか
1サムエル21章 落ち合うことにしています
1サム21:2「ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王は、ある事を命じて、『おまえを遣わし、おまえに命じた事については、何事も人に知らせてはならない』と私に言われました。若い者たちとは、しかじかの場所で落ち合うことにしています」」
聖書を読む人はこれが嘘だということがわかっています。サウルはダビデに何も命じていませんし、ダビデは誰とも落ち合うことにはなっていません。アヒメレクが言った「普通のパンは手もとにありません(4)」というのは、おそらくダビデが来たのが安息日だったので、輪型のパン12個を取り換えた直後だったと思われます。これはモーセの幕屋時代に決められた聖所での作法で(レビ24:8)、アヒメレクは忠実に主のことばを守っていたことがわかります。さらに、ダビデはアヒメレクに武器を求め、自分が倒したゴリアテの剣を手に入れます(9)。ゴリアテの持っていた槍の柄が機織りの巻き棒のようだと(17:7)あるので、その剣はバカでかいものだったと推測できます。アヒメレクのところで腹を満たし、剣を手にしたダビデはガテに向かいます(10)。ダビデの単独ででかい剣を担いでいる様子は、アキシュたちの目には変に映ったと思います。ここでダビデは気が変になったふりをしています(13)。嘘をつきたくて嘘をついたのではなく、気がふれた芝居をしたかったわけでもありません。アヒメレクのときと言い、アキシュのときと言い、命を狙われるということがどれほどダビデの精神を圧迫しているかがわかります。ダビデにとってぎりぎりの選択だったのです。