2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧
2サム23:2「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある」 ダビデ自身が神の霊によって、自分の舌が動かされ、自分の思いとはかけ離れたことを語っていることを認めています。有名なのはイエス様の十字架上での「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ…
2サム22:10「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして」 ダビデが主に助けを求めたなら、主は天を押し曲げても降りてこられる、とあります。詩篇にも収められているダビデの賛歌ですが(詩18)、この7ー15節までの表現はヨブ記にある主の描写…
2サム20:22「この女はその知恵を用いてすべての民のところに行った。それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、それをヨアブのもとに投げた。ヨアブが角笛を吹き鳴らしたので、人々は町から散って行って、めいめい自分の天幕へ帰った。ヨアブはエルサレムの王の…
2サム18:14「ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはおられない」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通した」 ヨアブはダビデの「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ(…
2サム15:20「あなたは、きのう来たばかりなのに、きょう、あなたをわれわれといっしょにさまよわせるに忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたはあなたの同胞を連れて戻りなさい。恵みとまことが、あなたとともにあるように」ガテはゴ…
2サム14:29「それで、アブシャロムは、ヨアブを王のところに遣わそうとして、ヨアブのもとに人をやったが、彼は来ようとしなかった。アブシャロムはもう一度、人をやったが、それでもヨアブは来ようとはしなかった」ヨアブの本音としてはアブシャロムの回復より…
2サム9:8「彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか」メフィボシェテはマキルの家から、もっと裕福なツィバの家に引き取られ、ツィバがメフェボシェテに仕えるようになりました。ツィバ…
2サム8:15「ダビデはイスラエルの全部を治め、その民のすべての者に正しいさばきを行なった」原文では「正しいさばき」は2つの単語になっています。「さばき」は「mishpat(ミシュパット)」で、「正しい」は「tsedaqah(ツェダカア)」が使われています。さばきの「mishpat」は…
2サム6:16「主の箱はダビデの町に入った。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ」 なぜミカルはダビデをさげすまなければならなかったのでしょう。ダビデとイスラエルの全家は、歓声…
2サム4:11「まして、この悪者どもが、ひとりの正しい人を、その家の中の、しかも寝床の上で殺したときはなおのこと、今、私は彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らないでおられようか」 サウルの子イシュ・ボシェテを担ぎ上げ、王と…
2サム1:10「そこで私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生きのびることができないとわかったからです。私はその頭にあった王冠と、腕についていた腕輪を取って、ここに、あなたさまのところに持ってまいりました」 サウルの死を報告に来たアマレク人に…
詩150:1「ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ」「ハレルヤ」はヘブル語「halal(ハラル)」と「yahh(ヤー)」とを組み合わせた語であることは有名ですが、「halal」は「ほめたたえる」という動詞です。150篇は最初から最後まで「halal」…
詩145:21「私の口が主の誉れを語り、すべて肉なる者が聖なる御名を世々限りなくほめたたえますように」 ダビデの名前がタイトルにつく詩の中では145篇が最後の詩になります。いわば最後にダビデが歌った詩がこの21節になります。この詩の中ででは「聞いてくださ…
詩144:4「人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです」 「息」のヘブル語「hebel(ヘベル)」は、「虚栄心」とか「うぬぼれ」という意味があります。また「蒸発する」という意味もあり、人が呼吸する息のようにあっという間になくなってしまうことを比較しています…
詩143:8「朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから」 これがダビデの人生で、何度目の敵対するものから救いを願った祈りなのかはわかりません。もし…
詩142:6「私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強いのです」この祈りがあったからかどうかはわかりませんが、ダビデは洞窟の中でサウル王と間近に遭遇します(1…
詩141:4「私の心を悪いことに向けさせず、不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください」ダビデに限らず、誰もが神の前に何の障害もなく近づけたならと考えます。しかし、ダビデの…
詩140:5「高ぶる者は、私にわなと綱を仕掛け、道ばたに網を広げ、私に落とし穴を設けました。セラ」 詩篇は賛美の歌だと思っている人がいると思いますが、ダビデの詩には自分の声を聞いて、願いをかなえて欲しいという内容が目立ちます。それは神が偉大なお方…
詩138:7「私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます」いつのころからか「神の右」特に「神の右の手」に強い力があり、救い、勝利を導くものとして聖書の中に書か…
詩137:8「バビロンの娘よ。荒れ果てた者よ。おまえの私たちへの仕打ちを、おまえに仕返しする人は、なんと幸いなことよ」 バビロンでは捕囚となったユダヤ人たちは奴隷として扱われていました。彼らに余興を求められたのなら、従わなければなりません。立琴(2)…
詩136:5「英知をもって天を造られた方に。その恵みはとこしえまで」 「その恵みはとこしえまで」というフレーズは、原文では音の響きにおもしろみがあり、韻を踏んでいる詩です。訳ではわかりにくく、特に日本語になってしまうと詩篇のニュアンスがわかりにくい…
詩135:15「異邦の民の偶像は、銀や金で、人の手のわざです」 イスラエルの民もたびたび偶像を拝んでいますが、十戒の2番目の戒め「偶像を作ってはならない(出20:4)」は、荒野にいる頃から示された重要なものです。人は目に見えるものに頼りたがりますが、荒野で…
詩134:1「さあ、主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち、夜ごとに主の家で仕える者たちよ」出エジプトをして荒野に出たときから、イスラエルの民はモーセを通じていろいろな主の前で仕える作法を学んでいます。夜ごとに仕える者たちというのは、アロンとそ…
詩133:1「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」ダビデ自身は8人兄弟だったと聖書にあります(1サム16:10)。彼の腹心ヨアブとアビシャイはダビデの兄のツェルヤの子で、ダビデとはいとこの関係になります(…