神が共に

2コリ13:11「終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます」
パウロの言うとおりにすれば、神はともにいてくださいます。しかし、これが難しいのです。聖書が教えることですから、努力はしますが、肉の思いはいまだに心を支配しようとしています。体はひとつ、でも神の霊とサタンの霊の2つがあり、どちらかが支配するようになっています。自我を抑えきれないなら、サタンの誘惑を聞き入れ、思いのままに行動してしまいます。人はいつも神の選択か、悪魔の選択をしなければなりません。主は人に自由な意思を与えました。自由はいいものです。何の圧力も束縛もありません。心を満たすものは、神以外にない…とわかっていても、他の方法を試したくなるのです。この神に反する肉の思いこそ、神に哀れんでもらえる唯一の弱点です。完全なものには哀れみが必要ないからです。主の哀れみが完全に人を支配したとき、私たちは生きるのです。