上から霊が私たちに注がれ

イザ32:15「しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる」
この章はある一人の王が現れ、国を治めることから始まります(1)。王はヒゼキヤともヨシヤとも言われていますが、上から霊が注がれる時代なら新約の時代だと思います。新しい統治では「しれ者が主に向かって迷いごとを語り、飢えている者を飢えさせ、渇いている者に飲み物を飲ませない(6)」やならず者の「みだらなことをたくらみ、貧しい者が正しいことを申し立てても、偽りを語って身分の低い者を滅ぼす(7)」は、通用しません。現代は富の集中が問題になっており、裕福な者たちがたとえ犯罪を犯してももみ消されることが横行しています。正しい者を 正しく判断してくれる「正義」はいったいどこに行ったのでしょうか?法を順守したとしても、正しい者がさばかれることもあります。どんなに賢くてもソロモンのように道徳的に乱れる者もいるでしょう。唯一、絶対権威をもちながら、人を愛し、愛によって国を治めることができたなら理想的だと言えないでしょうか。この世でたった一人だけそのような統治ができる人がいます。聖書は最初から最後までその方のことについて書かれているのです。