私たちも以前は

テト3:3「私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした」
パウロは指導的立場にありながら、自分も最初から成長した状態にあったのではなく、未熟であったことを告白しています。それどころか「互いに憎み合う者」だっとも言っています。パウロが最初に聖書に登場したときはステパノを石打ちする仲間の着物の番をする役でした(使7:58)。まだ青年だったと書かれているパウロは、自ら石を投げなくても、ステパノは死に値すると確信していました(使8:1)。まさしく「敵意とねたみ」の中にいたパウロの姿かここにあります。その後も教会を荒らし、男女関係なく牢に入れたパウロはまさしく「憎まれ者」でした(使8:3)。しかし、ダマスコへの道中で主の光に会い、イエス様の声を聴くのです(使9:4-6)。神に出会うことほど人生で劇的なことはありません。パウロは改心 し、クリスチャンとなりましたが、すぐに用いられる器とはなったわけではありません。本人も告白していますが、多くの困難や迫害を経て主によって成長させられたのです(2コリ11:23-27)。そして、聖霊パウロに注がれたとき(6)、彼は力を得てテトスを指導できるほどの信仰者になりました。