自分自身が良いわざの模範

テト2:7-8「また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて、何も悪いことが言えなくなって、恥じ入ることになるでしょう」
日本人がそばをすする様子は、アメリカやヨーロッパの人から見るとマナー違反のようで、笑ったり、顔をしかめたりします。しかし、日本人にとってはすするほうが風情があり、おいしく食べれるという文化なのです。郷に入れば郷に従え…とは日本のことわざですが、違う風習や文化に対して別のことを教えるのは難しいものです。とくにクレタの老婦人たちは「敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず(3)」と書かれているほど、素行の悪さは目に余るものだったようです。クレタの人々にキリスト教を伝える前に、彼らのマナーとか素行の部分を改める必要がありました。パウロもそのことは充分理解していたようで、テトスへのアドバイスも的確です。しかも、教えを強要するのではなく、自分自身が模範となるべきだと説いています。教える者が教えにかなっていない行ないをするなら、その教えや言葉は死んだも同然です。教えが生かされるためには、教えを説いた人自身がその教えに従う様子をデモンストレーションして見せれば良いのです。イエス様はまさしくそのようにされました。