矢はおまえのこちら側

1サム20:21「いいですか。私が子どもをやって、『行って矢を見つけて来い』と言い、もし私がその子どもに、『それ、矢はおまえのこちら側にある。それを取って来い』と言ったら、そのとき、あなたは出て来てください。主は生きておられます。あなたは安全で、何事もありませんから」
「こちら側」のヘブル語は「hennah(ヒナー)」で「向こう側」は「haleah(ハレー)」です。二人だけが知るサインが決められました。「子ども」に使われている「naar(ナアー)」は、小さい少年のことを指しています。それは、まがりなりにも矢を射る練習だという名目で野原に出ていき、たとえ誰かに見られても、子どもに矢を拾わせているようにしか見えないようにするためでした。さらに子どもは まだ、ものの良し悪しを判断できるまでに成長していない幼い子を選んだのだと思われます。ヨナタン自身も殺されそうになり(33)、いよいよダビデ殺害は間違いのない事実となりました。ヨナタンとの友情やミカルの援助もありましたが(19:12)、なによりもダビデの心には「主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ(26:11)」という考えが支配していました。どんなにサウルに追いかけられようとも、ダビデがどんなに戦いに秀でていても、今は逃げることしかできなかったのです。もし、サウルと対峙するなら、戦わざる得ません。ダビデ自身も油注がれた者として、主を恐れるようにサウルを恐れたのです。