どうせ…

イザヤ22:13「なんと、おまえたちは楽しみ喜び、牛を殺し、羊をほふり、肉を食らい、ぶどう酒を飲み『飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから』と言っている」
ノアの洪水の日さながらの光景です。「洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました(マタ24:38)」とあるように、洪水のことを耳にしながら無視したのです。ノアの作った船は当時世界最大のもので、陸の上に建造された船は多くの人の目に留まり証しにもなったでしょう。ちょうどイザヤが下半身裸で過ごしたのと同じです。ノアは500才で子供たちを産んだとあり、600才で洪水が起きました(創6章)。約100年もの間、船の建造にかかり多くの人への警告となったのに、人々は自分の生活をやめませんでした。どうせあすは死ぬ…とは神への最大の侮辱ではないでしょうか?そこには夢も希望もありません。最後まで期待し、待ち望める信仰を主はお試しになります。主は愛される者が苦しむのを喜ばれるでしょうか?信じる者には最高の人生と目的をご用意してくださっているはずです。