取り残しの実

イザヤ24:13「それは、世界の真中で、国々の民の間で、オリーブの木を打つときのように、ぶどうの取り入れが終わって、取り残しの実を集めるときのようになるからだ」
ツロ、シドンを含むフェニキアへの預言で、近隣国すべての預言は終わりました。これ以上何を知らせようとするのでしょうか?24章以降はイザヤの黙示録とも呼ばれ、おそらく終末を預言しているのだろうと言われています。「私は夏の果物を集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れる者のようになった(ミカ7:1)」とミカ書にありますが、取り残しは貧しい者や盗人(オバ1:5)が集める最後の実のことです。オリーブの収穫が終わり、ぶどうの取り入れが終わって、さらにその後でオリーブの残りの実を集めに行くのです。良い実は最初に打たれたときにボタボタと地に落ちます。残った実は枝から落ちるにはまだ早く、熟していません。しかしそんな実も主をあがめ喜ぶときが来ます。終わりの時代に、たとえ残り物と言われようが、集められる実は幸いです。それは世界中で起きます。