盲人の証し

ヨハネ9:31「神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行なうなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています」
盲人がパリサイ人に言った言葉です。安息日にいやしを行ったのはこれで2回目です。今回はシロアムの池で、その前はベテスダの池で38年足の病気の人を癒しています(ヨハネ5章)。どちらも安息日に行われ、癒された側はイエス様を知りませんでした。パリサイ人は、安息日に仕事をしてはいけない…という律法をいやしにまで拡大解釈して禁じようとしました。いやしによって生まれつきの盲人は初めて「見る」という経験をしたのです。失われたものが回復することは、神の栄光だと思います。どんなにパリサイ人がイエス様は、律法を犯した悪い人だと言われても、盲人の心の目は神が忠実で、不正なものを退けることを知っていました。目が開いたのに、彼はイエス様にお礼も言わずに行ってしまいましたが、パリサイ人が質問してきたときに彼はおじけずはっきりとイエス様を証ししました。、自分の身におきたことを否定できなかったからです。証しの基本がここにあると思います。心に受けた感動と神の愛をすなおに証言すればいいのです。