ぜったい裁かない

1サム26:10「ダビデは言った『主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ』」
ダビデは自ら裁いてはいけない、という原理を忠実に守っています。ダビデの心には主を恐れる思いがあり、主の領域を侵そうとはしませんでした。ダビデは常に主に語りかけ、従い、主への忠実を全うしています。ダビデと主の関係はそれほど強固なものだと言えます。現在のクリスチャンはどうでしょう?私たちはすぐに自分で判断しようとしていないでしょうか?善悪を知ることができても、裁きは主のものです(ロマ12:19)。ダビデの目の前に、自分を付けねらうサウルがいるのです。しかもご丁寧に脇には槍が刺してあります。抜き取ってひと思いにサウルを殺すこともできたでしょう。これは大きな誘惑であり試練です。自分に都合のいい状況が目の前に開かれると「これは主からのものだ」と飛びつきたくなります。しかし、主は心の中を見ておられます。ダビデはいつかサウルも命が尽きて死ぬか、戦場で死ぬのだ…と悟り、自らの手でサウルを殺すことはしませんでした。すべては主の御手にあることを頭だけでなく、実際の行動として悟ることができれば幸いです。