高慢になる理由

1コリ4:19「しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう」
高慢になるには、それなりの理由があります。音楽は誘惑に陥りやすい世界だと思います。ステージに立ち、見てくれる聴衆の歓声と拍手と賞賛を受けるなら、山の頂に到達する思いです。しかしそれでも高慢になるのは、1つは他の人がその頂に立ってもらいたくないという支配的な思いがあるからです。褒められるのは自分だけでいい…そう思うなら、他人の演奏をけなし始めます。もう一つは、「もっと満たされたい」という欲求にかられることです。一度だけじゃダメなのです。何度も何度も、自分を認めてもらいたい、と思い始めます。高慢になってしまった人の口からは、自分の立場を守ろうとする美辞麗句が聞こえます。パウロは高慢な人たちに、どれだけ力を持っているかを見せてくれと言っています。エバは蛇に「神はほんとうに言われたのですか」と聞かれた時に、自分で判断しようとしました(創3:1)。「私は、神のように自分で判断できる」と思ったからです。彼女の心には高慢が芽生えていたのです。人間の創世のころから、パウロの時代まで原理は変わっていないのです。