兄弟なのに

1コリ5:11「私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです」
兄弟と呼ばれる者とはクリスチャンのことです。教会内で不品行や偶像礼拝などがあるのでしょうか?パウロの手紙を読んでいるとき、よくそういう疑問があります。「教会なのに」とか「クリスチャンなのに」と思うのは、教会もクリスチャンも完璧だという思い込みからです。パウロが各教会に書いた手紙の中には教会と言えども、分裂もあれば、不品行もあり、偶像礼拝もあれば、そしりもある…という内容が多く見られます。コリントの教会でも警戒すべきは兄弟だと書かれています。残念なことですが、初代教会の中にもこのような問題があったのです。現代でも教会の外に一歩出るなら、牧師の監視外になってしまい、どんなに聖書から離れた生活をしても分からなくなってしまいます。私たちは兄弟たちを見ながら、愛や喜び、平安など聖霊の実がなっているかを見極める必要があります。