すべては益?

1コリ6:12「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」
パウロ独特の書き方です。10章でも同じ書き方をしています(10:23)。なぜ同じことを2回言うのでしょうか?生活するにはルールが必要です。何でもあり…というのは、時には周りの人たちに迷惑をかけることにもなりかねません。パウロの考えは人生そのものを受け入れる大切な姿勢のように思えます。私たちは聖霊にあって1つです。何者も私たちを支配するものはありません。どんなに苦しめられようとも、苛められようとも、一度聖霊に捕らえられたのなら、その人は聖霊のものです。親であろうが、上司であろうが誰もその上に立つことはできないのです。従うべきは聖霊であって、人ではありません。パウロは「全ては益」だとも言った男です(ロマ8:28)。それは苦しみや試練が、そのまま苦しみで終わるのではない、という意味です。時間のすべてをどのように使おうとも自由です。しかしその自由の中には益ならないものもある…ということを言いたかったのではないでしょうか?