光陰矢の如し

1ペテ1:17「また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい」
地上にいる間は「しばらく」だとペテロは言います。光陰矢のごとし…は孔子の言葉ですが、若いころには無限にあるように思えた時間も、年老いてくるとあっという間過ぎ去ることがわかります。目先の欲望を満たす誘惑に負けないようにしなければなりません。その場限りの切り抜けではクリスチャンはやっていけないのです。日曜日だけいい子にしていても、主はご存知です。どんなに人の目をごまかそうとしても、イエス様の目はごまかせません。あなどれるお方ではないし、軽視するのも失礼です。目に見えないからといって、やりたい放題では教会は前進することができません。信じる心は、目に見えない主を恐れる態度を見たときにわかります。「しばらく」「恐れる」はこのみ言葉のキーワードです。しばらくとは思えない時間でも、ぼやぼやして恐れていないと公平にさばくお父さんから、とんでもない叱責を受けますよ。