注意すべきこと

出34:4「そこで、モーセは前のと同じような二枚の石の板を切り取り、翌朝早く、主が命じられたとおりに、二枚の石の板を手に持って、シナイ山に登った」
32章では、最初の板は神の作品だと書かれていましたが、2回目のときはモーセが石の板を用意してシナイ山に登りました。主は山頂でモーセと会い、大切な戒めを確認しています。その多くは、ほかの神に従ってはいけないというものでした。ここで主はみずからを「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから(14)」と語り、ねたむ神であることを強調しています。しかも主ご自身の名前が「ねたみ」だと言われています。なぜほかの神々を滅ぼし、イスラエルの民にご自身だけを示すようにしなかったのでしょうか?主は人間に自由意志、あるいは選択を与えたのです。それは、決してロボットのように命じられるままに行動するのではなく、いくつかの選択肢の中の1つに主ご自身を入れ、人の心のあるままに任せようとしたからです。人の心は弱く、目に見えるものに支配され、肉の欲に従うようになっています。それでも、主が唯一の神であると信じるなら、それは主の栄光であり、人の誉れとなるのです