石板は神の作品

出32:16「板はそれ自体神の作であった。その字は神の字であって、その板に刻まれていた」
板は原語では「luwach(ルアーク)」となっており、木でできた板の意味もありますが、モーセが怒りにまかせて砕いたことを考えると、石でできたタブレットのようなものだと思われます。この板自体が神が作られたものであり、前の節によると十戒は石板の両面にわたって書かれていたとあります(15)。十戒モーセに言い伝えるだけでなく、目に見えるように具現化して民に見せるようにされていました。今までに多くの奇跡を経験してきた民は、わずかな時間を待つことができず、アロンでさえしびれを切らせて金の子牛を作ってしまうほどでした。もし現代に、この石板が見つかったなら、それ自体が神の作品ですから、これ以上の神の存在を示す証拠はないわけです。しかし、主は契約の箱を隠されました。それは、神の存在は人を通して証しするという、不変のやり方を貫くためです。現代では石板はクリスチャンであり、彼らの心に刻まれた神の言葉を人に見せるときに、人は神の存在を信じるようになるのです。