悪霊でさえ

マコ1:45「ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた」
40日の断食後、イエス様は宣教をスタートしましたが、最初にシナゴーグ(会堂)で教えられたときに悪霊と対面しています(23)。この悪霊は「出て行け」というイエス様の命令には従いましたが、最後に取り付いていた人をひきつけさせ悪あがきをして出て行きました。さらにイエス様はいやしと悪霊を追い出し、悪霊にはものを言うことをお許しになりませんでした(34)。悪霊はイエス様が誰かを知っていたので、命令に従い余計なことはしゃべらなかったのです(24)。ところが重い皮膚病をいやしてもらったこの男だけが、イエス様の言葉に従いませんでした。いやしの業は奇跡でもあり、すばらしい神のみ業です。いやされたものが喜び、その奇跡を吹聴するのはごく自然なことかも知れません。しかし、イエス様にはご計画があったのです。結果としてイエス様は表立って町に入れず、神のみ業はストップしてしまいました。人の目によく見えることでも、神のご計画からは離れている思いがあります。悪霊でさえ、イエス様の言葉に従い余計なことは話さなかったのに、この男はイエス様の命令に従えませんでした。それは逆に考えるなら、人は従うことと拒否することを選択できる存在だということです。私たちはどちらを選ぶべきでしょうか?