力を使い切ったなら

士15:19「すると、神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれ、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復して生き返った。それゆえその名は、エン・ハコレと呼ばれた。それは今日もレヒにある」
サムソンは自分の仲間から嫌われ、ついに岩に縛りつけられ敵に渡されてしまいます(13)。しかし主はサムソンに霊を注ぎ、サムソンは近くにあったロバのあご骨で1000人を打ち殺しました。聖書には「主の霊が激しくくだり」とあります(14)。ペリシテ人イスラエルよりも強く彼らを支配していたのです。しかし、主の器サムソンはナジル人としての誓約を果たしていました。神の霊がサムソンに臨まれるとき、彼は力を得て1000人を負かすのです。1000人と戦う体力は半端なものではありません。空手で100人組手という荒行がありますが、最初の10人ぐらいで体力は限界に来るそうです。ボクシングでも1ラウンドが5分なら、両方とも疲れ果ててしまうんでしょう。1000は人の力では起こりえない数の象徴です。サムソンがすべての力を使い果たしたとき、渇きをおぼえ主に訴えます。サムソンは人格はともかく、主の器としては役目を果たしていました。霊が注がれ、力を使いきり、渇いたのです。そして主はサムソンに水を与えました。霊が注がれたままではいけません。力が与えられたなら、それを惜しみなく使い切りましょう。渇いたら主が水を与えてくださいます。