たとえ言葉で伝えられなくても

2コリ2:14「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます」
主を知ることは知識のはじめ、だと箴言にあります(箴1:7)。キリストを知ることは神を知ることであり、それは知識のはじまりでもあります。何も語らなくても、態度や行いでキリストのかおりを放つことができる人なら、すばらしいキリストの証人だと思います。最近出会った人は、ブラジル人で言葉が通じません。しかし会話ができなくても、黙々と教会の奉仕をする姿を見て、キリスト者の本来あるべき態度を教えられた気がしました。主はそういう人をいつもご覧になっています。キリストを述べ伝えるのに言葉は欠かせませんが、無言でもキリストを感じさせるまで成長したいものです。それには条件があります。常にイエス様と交わることです。いつでも、どこでも、主を感じ、喜びも悲しみも共にあるなら、パウロの言うようにキリストを知る知識のかおりを放つことができるのだと思います。